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るてえ吠がシナジクイ

Twitterに入りきらない長めのひとりごと置き場

『推され』への風当たり

立派な果物や野菜を栽培する過程で栄養を一つの苗に集中させる事を目的として行う『間引き』の作業がありますがアイドルの世界も似たような感じですよね。

私は「推され・干され」の論争は男女問わずエンターテインメントの世界には必ずあるものという認識を持っていまして。決して残酷ショー推奨派ではないもののアイドルって応援する側が『望んだモノが提供されない』ことや『想定外のサプライズが起こる』というのも魅力の一部としてあると思うんですよ。

 自分の応援するアイドルが報われない不遇感をファンが感じ熱量に変えた結果『推され』に対するカウンターとして人気を掴んでいった人もわりかし簡単に思い浮かびます。判官贔屓というか反体制というか。例として適切じゃないかもしれませんが細かい部分を省いてザックリ言うと「前田敦子に対する大島優子」的な。センターに立つ以上アンチも多かったですし、48グループの総選挙はそういった側面が大きいからあれだけ盛り上がっているんだと思います。

勿論王道というかベタな展開は大好きですし頑張って努力している人には報われて欲しいですが、ファンが望むモノが叶う=誰でも想像がつくような事だと思うのであまりイイことではないのかなと・・・

 例えばYa-Ya-yahなんかは「多少格差があった」なんて言葉じゃ足りないくらいのグループ内格差が結成当初からありました。幾度か訪れたメンバー編成の末4人に固まり、その生き残った4人でオリジナル曲を歌う時ですら「これって翔央と太陽の声入ってんのか?」なんて思うことはマイクを持っているにも関わらずしょっちゅうありました。

しかし2人の歌唱パートも少しずつ増え、進研ゼミのCMに出演するなど徐々に格差を埋めていた印象だったので4人でのデビューもギリギリまで疑わなかったんでが・・・

それでも他のJr.担からすればゴリっゴリに推されているグループの一員でしたし、きっと多少の不満を持っていたであろうエビキスやJ.J.Expressなど他グループのファンも無所属のJr.を応援している人からすればグループを組んでる時点で紛れもない「推され」だと言えるのでキリがありませんが・・・

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 前置きはこれくらいにして、、、2007年の『旧Hey ! Say ! 7』の結成後~JUMP結成までの経緯が数年前にMyojoの10000字インタビュー内でそれぞれの視点から語られました。    

 その中でもやはり衝撃的だったのは薮宏太の回で。

事務所の検閲は当然あったでしょうがその10000字インタビューを鵜呑みにするならば、ジャニー喜多川氏は当時高校3年生の薮宏太に『薮と光はなー、Ya-Ya-yahがあるからなー、でもどうしよっかなー』 と言ったそうで。迷っていた様子が伺えます。

文章だけ見るともしかしたらバレーデビューをスルーしてもKAT-TUNみたいなデビューをする未来があったのかもしれない・・・なんて思える内容です。

 その文章を読んだ時期の自分は表面上はYa-Ya-yahに対して心の整理がついていたはずなんですが 色々考えてしまいました。

「ジャニーさんが薮じゃなくて光に聞いてたら運命は変わっていたのかな?」とか

「いや、宮城から上京して家族に負担かけてるだろうから光でもJUMP選んだ?」とか。

 

2003年のNEWS結成では山P以外のFour Tops3名がCDデビューできなかったという事実はありますが、外野のお茶の間から見ると当時の薮宏太・八乙女光がどんな形であれデビューできないなんて想像がつかないんですよ。事務所が極端なほどプッシュして仕事を与える以上色々な現場での経験や人脈作り、様々なノウハウを身につけさせてジャニーズ事務所を更に発展させていくための投資でもあると私は考えていて。今まで手塩にかけて育てたのに事務所がみすみす手放すハズはないなんて思っていました。

 結果としてJUMPが結成されYa-Ya-yahは解体したため無限に想像できる説の一つでしかありませんが薮と光がJUMP入りをスルーしたとしても、共に残されたエビキスの中でそれぞれ2TOPだった北山・藤ヶ谷・戸塚・河合との選抜デビューだったかもしれませんし、翔央と太陽と一緒にYa-Ya-yahの4人でデビューできたとは限りません。

私はHey ! Say ! JUMP のデビューで10人ごっそり抜けたからこそ、個性の被っていないKis-My-Ft2A.B.C-Zの12名のデビューに繋がったように思うんです。

 仮にJ.J.Expressを軸としたHey ! Say ! ○○がデビューし、その逆境を乗り越えてYa-Ya-yahが4人でデビューしたとしても、そうなった場合の風当たりは相当強かったんじゃないかと想像してしまうんです。翔央がA.B.C.と共に活動をしていた時期のネットで目にした現場の荒れ方を考えても『逆境』というストーリーに仕立て上げるには今まで恵まれすぎていた分少し弱いというか。

 

自分が夢見ていた事と反しますが「結局デビューできるのはお気に入りのゴリプだけかよ」なんて思われるCDデビューが本当に幸せなのかな?なんて事をいつしか思うようになりました。無理やりポジティブに考えるとCD売上やら動員数やらを気にすることなく『綺麗な思い出』のまま終われたというか。

 何を持って『売れた』とするかの基準はわかりませんが『選抜デビュー』という「喜びや悲しみを受け入れて」結成した以上、やっぱりHey ! Say ! JUMPには売れて欲しいです。

 

『デビューする』という事

忘れもしない2007年9月24日、月曜日でしたね。その当時は文化祭準備期間という日常とは異なる混乱を利用し、少しサボって高校の個室トイレの中で携帯電話のワンセグ機能を使いフジテレビのワールドカップバレー2007のスペシャルサポーター発表の中継を見ていました。

 

歴代サポーターのV6・嵐・NEWSの紹介VTRがあり、10人のシルエットと共に画面に表示されたHey! Say! JUMPという不思議な名前。

裕翔→山田→知念→龍太郎→圭人→有岡→高木→伊野尾と発表され後に続いた薮宏太・八乙女光の文字。

受け入れるまでの時間もなく始まったデビュー曲Ultra Music Powerのパフォーマンス。あまり長くなっても不自然なのでUMPの披露が終わると持ち場の教室に戻りましたが頭の中はいろいろな事でいっぱいでした。

Ya-Ya-yah終わった・・・

・旧7+5人って多くね?

・ジャニーさん、もう長くないと思ってやりたいこと全部詰め込んだのかなぁ。など色々。

 

4人のYa-Ya-yahが本当に好きで整理はつかなかったんですが『メンバー全員が平成生まれ』+ NEWSの9人デビューを超える『歴代最多人数でのデビュー』という条件を成立させるためには旧7に加えて最低でも5人必要。そう考えて一歩引いてみると旧7から追加された5名の人選に納得いっている自分もいて驚きました。

 

・小さい頃から色々な経験をつませていた最年長『薮宏太』

・薮と同様に様々な場数を踏みKitty GYMとしてバレーのサポーター経験もある『八乙女光』『伊野尾慧』

・史上初の2世デビューというネームバリューのある『岡本圭人

・平均年齢をグッと下げ、小学生デビューという強みもある『森本龍太郎

 

『平成生まれの10人を選ぶ』条件であれば、選ばれたメンバーに不満はないんですよ。ただ「10人も本当に必要だったのか」「史上初の○○」を重視するあまりに後先考えず全部載せしてしまったんじゃないか、とは当時考えました。

9人のNEWSを制御できなかったのに10人もデビューさせていいのか?と思いましたし、実際に同じようなケースで一人脱退者が出てしまいました。

脱退メンバーが出たことやNYCの登場やらがあり、今までの売り出し方に不満は大いに残っていますが『デビュー当時の人選』だけで言えば納得というか自分の中で妥当なんですよ。Ya-Ya-yahの正式なデビューも見たかったんで矛盾が生じるんですが。

 

あのKAT-TUNですらシングル・アルバム・DVDの同時デビューという3作品の同時発売

という話題性を提供していましたし、何かしらの『史上初の○○』や『平均年齢最年少』などの謳い文句はロケットスタートを切るためにある程度必要だと納得してしまったんですよ。世間での話題に上がるための引っ掛かりとしては。ファンが望む事と事務所が売り出すための引っ掛かりが違うことなんてザラにありますし。

 

そういった意味で言うとYa-Ya-yahの4人が同じ高校で高1・高2・高3と揃っていた2006年度が一番世間的に引っかかってくれる話題性があったような気がします。2度目のCDデビューというのも前例がありますし。

 

色々とっ散らかってしまいましたが、とりあえず今日はこのあたりで。

ちょっとした自分語り

隠れジャニーズファンとして長年息を潜めてきたので○○担だと公言した事もなくグッズの売り上げにも大して貢献していないのでそういった自意識はありませんが、一番好きなジャニーズタレントは?と問われたら迷うことなく薮宏太だと答えます。

思春期と重なる時期に『Ya-Ya-yah』や『ザ少年倶楽部』といったTVを見て過ごしていたため、その世代にジャニーズJr.として活躍していた彼らの当時の映像をDVDや録画等で見ると不思議な感情が湧いてきます。タッキー風に言うと「青春の小箱」を時々そっと開くとよみがえる美しい思い出というか。自分の青春時代に見ていたという思い出補正も加わってついつい週末にもなると過去の動画ばかり見てしまいます。

 

 

かつて『Ya-Ya-yah』というジャニーズJr.内のユニットがありました。

薮宏太・赤間直哉という歌唱力抜群な声変わり前の少年2人をメインに据え5人のYa-Ya-yahは2002年にCDをリリースしました。

前身グループを含めても4人→7人→5人→6人→4人と様々な人数構成の変化があったと記憶していますが、その中でも4人体制になってからの彼らが好きでした。

というより正直に言えば5人になる前の彼らをあまりよく覚えていません。

 

人によって思い入れがある時期が異なるのは当然のことです。赤間・星野がいた時代のYa-Ya-yah松本光平というスーパースターがいた時代のJ.J.Expressももちろん大好きですが、私が一番好きだったのはKAT-TUNデビュー後に弟分としてではなくデビュー候補のトップグループになった4人。翌年のバレーボールデビューへ向けて各ユニットがしのぎを削っていたあの時期。思い出補正も込みでの評価になってしまいますがYa-Ya-yahだけでなくJ.J.ExpressKis-My-Ft2、A.B.C.、Question?といったジャニーズJr.内ユニットにオリジナル曲が贅沢に作られていたあの時代が約10年経った今でも忘れられません。

 

高校生だった2007年9月。Hey! Say! JUMPの結成によって当時思い描いていた『Best of Ya-Ya-yah』やYa-Ya-yahのコンサートへ行く等の淡い夢は儚く消えてしまい、正直9年経ってもこんな風にJUMPとYa-Ya-yahへの複雑な思いをこじらせているなんて想像もつきませんでした。

 

こじらせてるといっても決してJUMPアンチではないんです。当時はお茶の間からしか見ていませんでしたが、楽しかった思い出の中の1ページとして今でも昔の動画を楽しんでいる程度で。いろいろ複雑な思いはありますが受け入れた上でJUMPのCDやDVDも買いますし、なんならコンサートにも行った事あります。

 

長くなりましたがその辺の矛盾なんかにも自分の心の中を整理していけたらと思っております。

開設にあたり

ブログやSNSというものに積極的に関わることなくこれまでの人生を送ってきましたが、気まぐれで始めたTwitterの140文字という制限の中で言いたいことを表現しきる事に限界を感じたため迂闊にも『はてなブログ』なるモノを始めてしまいました。

ネット上に文章を公開する以上は多方面に迷惑のかからぬよう自覚を持って文章を書き連ねていくつもりですが、あくまで日本に住む一人の小市民がひっそりと載せている『長めのひとりごと』として捉えていただければ幸いです。

 

前置きが長くなりましたがこのブログでは『隠れジャニーズファン』として心の中で整理がつかず肥大化してしまったこと等を文字としてネット上に残すことで少しでも整理できればと思い始めました。

長年お茶の間レベルで十二分にジャニーズを楽しんでいるため実体験として現場での舞台観劇やコンサートへの参加回数はそう多くありません。『ジャニヲタ』や『○○担』と名乗るまでの奥地には踏み込めていない男が時に知ったような口を聞くかもしれませんがご容赦ください。気に食わない表現があった場合も「にわかファンが馬鹿言ってらぁww」と流していただければ・・・